濡れる夜
なんとなく落ち込んで。
そんな日に限って雨で。

私は新宿二丁目のガールズバーで酒を引っかけてから、ふらふらとどしゃぶりの雨の中を歩いていた。
疲れた。
人生に、恋に、仕事に。
ゆっくりと壁にもたれかかり、汚れた道端に座る。
体が段々と冷たくなっていく。
酒を飲んだ後に雨に濡れる。
自分の命を賭けに使うロシアンルーレット。
ここで友達に会えば私は助かる。
誰にも会わなければ冷たくなって死ぬかもしれない。
誰か助けてと思いながら、誰も助けてくれず静かに死にたいと望む。
他人任せな卑怯な選択。卑怯な人生。
でもそんなバッドエンドもいいじゃないか。誰にも会えない人生なんて。
終わってしまえ。

「きったねぇ、ネコだな」

そんな日に限って、ダチじゃなくってイケタチ様が目の前に立っている。夢じゃない。
「こいよ」
名前も名乗らないイケタチ様に私は拾われた。
仕事帰りの、勝負パンツじゃないずぶ濡れな日に幸福はやってくる。いやこれ、不幸なんじゃないの? 今日のパンツは……何を穿いてたっけ?
「立ってきちんと歩け。ほらこっち」
腕を掴まれ無理矢理立たされ歩かされる。ぐいぐいと引っ張られて、どこかに向かわされる。
足がもつれる。
体が思っていた以上に冷たい。
私の命はイケタチ様に救われた。

スーツのままシャワーを浴びせられた。いくらなんでも最悪だ。
バスタブに座りながら、イケタチ様を睨む。いやこの女、顔はいいけど性格は最低だろ。いくら雨に濡れてたって、普通、服ごと風呂に突っ込むか? 様とか抜き抜き。
シティホテルのダブルを取ってもらった時は幸せ一杯の気持ちだったが、部屋に入ったらいきなり風呂へと突っ込まれた。そしてイケタチはちゃっかり服を脱いでバスローブを着ている。
バスローブからこぼれ落ちそうな胸。これはもしや巨乳ってやつ? どうやってあのジャケットに収っていたのだろうか。普通はもっとこう、ジャケットが着崩れるような気がする。体にジャストフィットした服を着ているってことか。
「服のドロを落としたら、服を簡単に洗って脱げよ」
あ、シャワーに突っ込まれたのは私が泥だらけだったからですか。さいですか。私は慌ててスーツに付いた泥を落とした。本当だ。ズボンも背中も泥だらけ。
ジャケットやズボンを脱いで、ごしごし洗う。下着はユニクロのボクサーパンツだった。高校生のようなガキっぽさ。このパンツでイケタチ……私は彼女をちらっと見る……様と豪華なダブルルームに入ったのか。誰か今すぐ私を殺して。
彼女は私から洗い終わったスーツを奪うとよく絞って伸ばして、干した。
名前も知らない私達。そんな私のスーツを丁寧に干していく彼女。
彼女の名前を知りたいと思った。
「ルイ……僕の名前はルイ」
彼女は私を見て、くすっと笑う。
「ずぶ濡れネコが人語をしゃべった。俺は朝霧」
えーと、おっぱいでっかいイケタチ様の一人称は俺ですか。そうですか。ピンヒールで蹴ってきそうなイメージなのに、俺。ちょっと驚いた。
「明日も仕事だ。さっさと脱いで体を洗え。エッチする時間がなくなるだろ?」
ホテルに入ったんだからヤルことはそれだよな。私は少し興奮しながら、体を洗った。

シャワーを浴び終わると、裸のまま手を引っ張られ、ベッドに放り投げられた。
すっごいゴージャスなキングサイズのベッドが目の前にある。
俯せになってベッドをさすっていると、イケタチ様……もとい朝霧が上から被さってくる。
イヤミなぐらいの巨乳が背中に当たる。
「泥を落としたら意外と可愛いじゃないか。ちょっとスレンダー過ぎかな」
ふと気付くと体が押さえ付けられていて動けない。
うなじに舌が触れる。ぬるっとした感触。
「朝霧はシャワー浴びないのか?」
「後で浴びる。腕だけは肘まで洗ったから大丈夫」
「どこまで入れるつもりなんだよ」
「どこまで入れられたい?」
朝霧がくくっと笑った。
「あんたタチなんだ」
「ああ。ルイは?」
「リバ」
「ふうん……リバには見えないけどな。運命に捨てられた仔猫ちゃん」
「あっ……」
舌がうなじから、つつつっと背中へと流れる。
「朝霧の顔が見たい」
「お前に決定権はない。後で見せてやる。腰を上げろ」
何故か朝霧の命令口調にゾクゾクする。
「あのさ、僕、どっちかっていうとタチ寄りなんですけど……」
一応、朝霧にお断りを入れてみた。ナンパは自分から。リードも自分からの私が何故ここでリードされているのだろう。
「俺の前ではネコだから安心しろ。タチは命令されて腰を上げたりしないんだよ」
朝霧は高く上げた私の腰をぱしっとひっぱたいた。
「っ……!」
「ん。感度はいいな。M度高しと」
「Mってなんだよ。誰がMだ」
「ケツ引っ叩かれて濡れる女の事だよ」
「あっ!」
朝霧の指がヴァギナをつーっとなぞる。
そして指を私の目の前に出した。てらてらと濡れる指。
「自分がMだって知らなかったのか? 人生の早くに気付いてラッキーだったな」
「知るかよ! ベッドではむしろSで通ってる」
「あはは、にゃーにゃー鳴く自称Sのネコか。可愛いな」
「自称ってなぁ! あっ……!」
両胸を後ろから触れられる。と同時に朝霧の胸が背中に当たる。むにゅーっと。
胸を揉まれる。胸が当たる。この挟まれた快感が私を襲う。もみむにゅ、もみむにゅ、もみむにゅ。
女の胸に反応するレズビアンの悲しい性なのか。私の乳首は嫌って程、勃っていた。
「はぁ……はぁ……」
自分の呼吸音の向こうに、彼女の呼吸音が聞こえる。興奮した息。速まる呼吸。女同士のセックス。とてもとてもとーっても久しぶりのセックス。
人肌が恋しかった。前のカノジョの捨て台詞が脳裏に浮かぶ。
『このドブネズミ!』
ははっ、本当にドブネズミみたいだった所を、イケタチ様に拾われましたよーっと。
セックスしながらベッドサイドを見る。淡い間接照明が部屋を照らす。いつの間にかムーディーな空間に変わっていた。朝霧は見目だけじゃなくてセンスもいい。意識があまりなかったのだが、このホテルはどこなのだろう。広い部屋と大きなベッド。いつも泊まる安ホテルじゃない事だけは確かだ。
カーテン全開の窓から満月が見える。冷たくて美しい。朝霧みたいだ。
「はうっ!」
「余所見する暇があるなら、もっと虐める」
胸がぎゅううううっと搾られる。乳首がきゅうううぅっと抓られる。
本当に、冷たい。
痛い。
そして気持ちいい。
微妙な気持ちが交差する。
「あ、あっ、胸、が……っ!」
「イヤらしい娘だな。乳首がどんどん硬くなっていく。ほら、こんなに」
「ひゃああっん!」
乳首の先端に爪が食い込む。
「かんじ……る!」
「やっぱりMだ」
「ち、違う! 僕はMなんかじゃない!」
「こんなに抓られて感じまくって腰を振ってて、Mじゃないとか言われてもね」
朝霧が私の尻をパァンっと叩く。
「やだ!」
「濡れてるのに? 認めろよ、Mだって」
パァン、パン、パパンと部屋に鳴り響く音。おと。
羞恥心が刺激される。恥ずかしさのせいか、痛みのせいか、気持ち良いせいか、顔が火照る。
ヴァギナの近くを叩かれる。
「ひゃん!」
「ヌレヌレだな。濡れネコはいやらしかったのか」
「いやらしくなんて……ない!」
「スパンキングでこんなに感じているのにか?」
くすくすっと朝霧が笑う。
お尻を撫でていた指先が、ゆっくりとヴァギナへ寄る。
ごくりっと唾を飲み込んでしまう私。音が響いただろうか。恥ずかしい。
「おまたせ、仔猫ちゃん」
指はヴァギナに少し、触れる。
しかし濡れた襞(ひだ)を通過して、クリトリスを弾く。
「ひぃあん!」
馬鹿みたいに感じてしまう。
朝霧は恋人じゃないんだと頭に言い聞かせる。彼女が凄く格好良くても、所詮はワンナイトな相手。
柔らかな枕。真っ白なシーツ。でも私は知っている。私はこんなホテルに泊まったりしない。もっと狭くて、安くて、壁は薄くて。声を出したら隣に聞こえる、いや隣の声も聞こえてくるようなホテルにしか泊まらない。
格好良い人と付き合うには金が掛かり、そのような収入はないわけで。だから朝霧と寝るのは今夜だけの夢。毎回こんなホテルを割り勘していたら破産してしまう。
好きになってはいけないと、自分の心に言い聞かせる。でも朝霧は的確に私の急所を狙ってくる。夢中になれと。セックスに。
夢中になる恋の向こうになんて、何もない。これは人生の教訓。
だから私は夢中になんて、ならない。
後ろから触っていた指を離し、朝霧はつうっと腰に指を走らせクリトリスに触れた。胸を揉まれ、クリトリスを弄られ、体はぴったりと重なりながら私達は交じり合う。
「は……っ! あっ、はうっ、ああっ」
心とは裏腹に体は朝霧のテクニックに反応し、声が出てしまう。恥ずかしい。
ぬる、ぬる、ぬるるんと滑る指先。
もにゅ、もにゅ、ぷるん、もにゅ、きゅい、きゅきゅっと胸を弄る手。
背中に朝霧の胸が触れる。興奮した乳首が私の背中を弄ぶ。
やだ、こんな体勢でイッちゃいそうだ。正常位が好きな筈なのに、お尻を高く上げたままイッちゃいそう。こんな体位でイクなんて初めてだ。
にゅるにゅるにゅるにゅると、指が滑る。クリトリスを挟む二本の指が私を……!
「あ……ああっ!」
胸をぱぁん! と叩かれた。
「イク時はイクと言え」
「イクッ! イク! イッちゃってる! もう……もう、もうダメ! イクッ!!」
ダメとか止めてとかお願いとかいう言葉は全て無視された。
私は強引に、そう強引に何度も何度もイカされた。
イクッ! という自分の声が耳から離れない。恥ずかしい。
でもきっとこの部屋は壁が厚くて、私の喘ぎ声が隣に聞こえない。
幸せな時間。
涙が出る程。

でも夜が明ければ、また辛い毎日が待っている。

「始発の時間だね。もう行くよ。今日は本当にありがとう」
「こちらこそ楽しませてもらったよ。朝日の中の仔猫ちゃんっていうのもいいもんだな」
「それはこっちの台詞。朝霧、格好良いし……恋人はいるのか? っているよなぁ」
「いたらずぶ濡れの猫なんて拾わないよ」
期待しちゃダメだ。
「そう」
「お前は?」
期待しちゃダメ。
「前カノと別れてずいぶんになる。それから友達はいるけど、カノジョはいない」
「じゃあ拾ってやろうか、仔猫ちゃん」
「拾うって何を」
「ルイを」
「私を?」
「恋人になってやろうかって言ってるんだよ」
「どこまでも上から目線な女だな~。……恋人になってやってもいいぜ」
「あははは、そんな台詞を初めて言われた。お前はやっぱり面白い」
朝霧が笑いながら巨乳を押しつけてくる。やっぱりムカツク。
「それ……サイズいくつ?」
「ん? 胸か? Fカップ」
「でっか! 少し分けろよ」
「ルイはCカップだろ」
「なんで知ってるんだよ」
「ブラジャーで確認した。底上げカップ付きのC」
「うるせー。乳寄越せ」
「あはは、止めろ、触るな」
私達はベッドの中でスマートフォンの名刺交換をした。
「始発だ。ルイ、また週末に会おう」
朝霧が私の髪にキスをする。
私は朝霧の唇にちゅっとキスをした。
朝霧は少し考え、私の頭を掴むと唇を押しつけてきた。
「んーーーーーっ!!」
舌が無理矢理割り込んでくる。激しすぎて興奮する。朝日が私達を見ているのに。

一晩で落ちる恋なんてあるんだろうか。

私は目を瞑り、激流のようなカノジョの愛欲を受け止めるのだった。

<終>
2012/09/26